オレ様の世界 シーズン2

常識的な非常識 /マイノリティなマジョリティ / 本音のキレイごと / ラブ・アンド・ディトラクション / ようこそ、オレ様の世界へ

 

「恥ずかしい」「みんなやってない」なんて、子どもに言ってはいけないと思う

子育てする前…いや、子どもが1歳すぎるぐらいまで、親の育て方は子どもの成長とはあまり関係ないと思っていた。

自分自身が親の影響を受けたとは思っていないし、1歳になる前まで親が何をしようが子どもはやりたいようにやっていたからだ。

 

だが最近ちょっと考え方が変わってきた。

1歳すぎた頃から、子どもが親、つまりオレと奥さんの顔色をうかがうかのような言動をするからだ。

 

そんなことを考えていたら、ふと自分の過去のことを思い出した。

 

 

 

指しゃぶりを何度も「恥ずかしい」「みんなやってない」と言われた

母の話によると、オレは3歳ぐらいまで寝るときに指をしゃぶるクセがあったらしい。

 

そのことを母は何度も話した。

 

「恥ずかしいから、やめさせようとしてもぜんぜんやめなかった。」

「みんな3歳になったら指しゃぶりなんてしないよ、と何度も言ってもやめなかった。」

「お泊り会に言ったら、指をしゃぶるのが恥ずかしくて寝れなかったと言っていた。」

 

面白そうに、何度も何度も言った。

今でも言っているぐらいだ。

 

何回も指しゃぶりを「恥ずかしい」「みんなやってない」と言われたことが、実はオレの人生に結構影響していることに最近になって気づいた。

 

普通じゃないことが過剰に恥ずかしかった

高校生ぐらいまで、オレは普通の人と違うことがすごく恥ずかしかった。

 

今でも覚えているのは、中学生の家庭科の授業のときのことだ。

みんなで家からザルやおたまなどの調理器具を持ってきて料理をすることがあった。

 

オレはザルを持ってくる担当だった。

だがそのザルが、黄色い色がついた珍しいものだった。

 

他のグループの子は銀色のよくあるザルを持ってきていたせいか、どうにも恥ずかしくてオレは家から持ってきたザルを出すことができなかった。

忘れたフリをして、学校にあったものを借りた。

 

今にして思えば、別にザルなんか何でもいいのに、そのときは何でもいいとは思えなかった。

 

普通じゃないことが、イヤだったのだ。

 

普通という言葉を過剰に嫌悪するようになった

その反動だろうか、大学に入学して上京して一人暮らしを始めるようになると、今度は「みんなやってる」とか「普通」とか「恥ずかしい」という言葉がものすごく嫌いになっていった。

 

「みんなやってるからって何?

 普通だから何?

 恥ずかしいから何?」

 

とすべからくそんな感じで、むしろみんなやってることは嫌い、普通は嫌い、恥ずかしいからこそあえてやる、という風になっていった。

だれかに「恥ずかしい」とか「普通はそんなことしない」と言われると、本気で怒り、むしろあえてやるぐらいだった。

 

正直、2~3か月前までそうだった。

 

最近になって「そんな反抗しても疲れる」と考え方が変わってきたので、ようやく自然体で生きられるようになってきたと思う。

 

根底にあったのは母の「恥ずかしい」「みんなやってない」という言葉

今になると、普通じゃないことを過剰に恐れていたのも、普通であることを過剰に嫌悪したのも、母の言葉の影響が大きかったと感じている。

 

指しゃぶり含め何であれ「恥ずかしい」「みんなやってない」と言われた。

だから、普通じゃないことを気にすることになり、気にし過ぎた反動で普通であることがイヤになった。

 

10代ぐらいからつい最近まで、四半世紀に渡ってオレは母の言葉にとらわれていたのだ!

 

だからこそ思うのだ。

「恥ずかしい」とか「みんなやってない」なんて、子どもに言ってはいけないのだと。

 

子どもの人生が普通であってもなくても、どちらでもいい。

 

ただどのように考え、どのように生きるかは、子ども自身に選ばせてあげたい。

親の言葉に過剰に従ったり、過剰に反抗させるようなことはさせたくない。

 

何であれ、子どもへの言動には気を付けたい。

親の影響はバカにできなそうだからね。