オレ様の世界 シーズン2

常識的な非常識 /マイノリティなマジョリティ / 本音のキレイごと / ラブ・アンド・ディトラクション / ようこそ、オレ様の世界へ

 

精いっぱい、刺さる言葉が発せるようにしてみよう

去年の後半は、いかにブログのアクセスを伸ばすかばかり考えていた。

 

別にブログで食おうとは思っていない。

だがもう何年も、特に子どもが生まれてからは毎日4時起きで書いて、月の利益が数万円という状況は改善したい。

 

その思いが徐々に増し、あれこれ試した。

だがどれも、これといった成果はあげられなかった。

 

失意の中、そもそもなぜブログを書くのかという根本的な問題を考えざるを得なかった。

儲けるだけなら、何もブログでなくていいからだ。

 

そして、思い出した。

ブログを書き始めたときのことを。

 

言葉の力を感じた、自分でもやりたかった

今までの人生で最もつらい高校時代に読んだ、社会学者である宮台先生の「これが答えだ!」の中で、繰り返し、

 

「意味より強度を」

 

と書かれていた。

 

人は、人生に意味がなくても強度があれば生きられる。

人生に無意味さを感じていたあの頃、唯一の生きる希望だったと言っても過言ではなかった。

 

大学時代に読んだマンガ「東京大学物語」のセリフの数々もよく覚えている。

 

学歴に対する洗脳じみた教育を徹底的に暴いていくストーリーは、特に自分が高学歴だったからこそ響いた。

またプライドが皆無で、愛しかないヒロイン水野遥に、実在の人物でもないのに憧れた。

 

そして何より、普通に考えたら社会には受け入れがたいであろう価値観を提唱するあのマンガを流行らせた江川達也さんにも、ゾクゾクするようなかっこよさを感じた。

 

 

 

賢い人や、有名な作品だけではない。

そこらにいる人の言葉の中にも、刺さるものはあった。

 

ホストのバイトを辞めるとき、ある先輩が言った。

 

「ホストやっていい勉強になったろ?

 オレらも客もバカだけど、こんなんでも生きていけんだ。

 お前は頭いいから大丈夫だ。」

 

高学歴でホストなんかやってたオレに何か感じるところがあったのだろう。

純粋な、社会のマイノリティだからこそ持つ優しさに心うたれた。

 

毎週、ヤンマガを買っていたホームレスのおじさんの、

 

「あんちゃん、何でもタダで持ってけ!」

 

という言葉もよく覚えている。

 

ホームレスになるほど社会から迫害されて、それでも人に優しいおじさんの人生を想像すると泣けてきたのだ。

 

そういう言葉を自分でも発したかった。

人生を変えるような、価値観を変えるような、そんな重みを持つことを言いたかった。

 

理屈じゃない。

衝動のようなものだ。

 

精いっぱい、刺さる言葉を発しようとしてみよう

婚活ブログを書いているときには、それらしいものがあった。

あのときはただ「ブス」と言うだけでも、婚活が上手くいかないことに対する苛立ちや、人が見た目だけじゃないとわかっているのにそう思ってしまう自分に対する嫌悪感などが込められていた。

 

だが今はどうだろう?

 

違う、何かが違う。

アクセスが増えるように、人にウケるように意識し始めたときから、そういう思いが欠けてしまった。

 

…いや、そう割り切れるものでもない。

人のウケを意識しているからこそ、放てる言葉だってあるはずなのだ。

 

人気を出そうとしつつその裏に思いを込めることも、上手くいかないからこその深みもあるはずなのだ。

 

華麗なるギャツビー」という映画があるのだが、見栄っ張りでウソつきの主人公が結局は落ちぶれてしまう。

 

それを傍で見ていた友人が、たしか「彼は精いっぱい生きようとしていた」と言うのだ。

 

見栄を張って、ウソをついてでも、楽しく生きようとしていたのだと。

彼をあざわらう人は、彼ほど懸命に生きているのかと。

 

人間はそう簡単に割り切れるものではない。

割り切れないからこそ、深く響く言葉が出てくるのだ。

 

どんな形であれ、初期衝動のような思いを実現させたい。

多少なり、だれかしらに響くブログが書きたい。

 

精いっぱい、書こうとしよう。

 

あけまして、おめでとう。