絶望の先にこそ、本当の幸せがあるのではないか?「翳りゆく部屋」の恍惚感について
「翳りゆく部屋」という、ユーミンの曲がある。
これがもう、すっごい暗い歌。
失恋の曲なんだけど、サビの歌詞が「輝きは戻らない、私が今死んでも」だからね。
でもね、オレすっごいこの曲好きなんだよ。
なぜかわからないけど、聞くたびに泣きそうなぐらい好きなんだよ。
人生がどうでもよくなったときに、楽しい
別に自分が失恋したときのことを思い出してるわけじゃない。
てか、結婚して子どもまで生まれちゃって、過去のどうでもいい女とのことなんか忘れたわ。
思い出すのは、失恋もそうだけど、同じようにネガティブなことが起こったその先のこと。
絶望の先というか、向こう側というか、そういう瞬間。
何かイヤなことがあってどうにもならないとき、ふと開き直る感覚が訪れることがある。
「もうどうでもいいや!」って。
そういうとき、なぜか超楽しいんだよ。
急に足取りが軽くなって、景色がキレイに見えて、いつものただご飯食うとか、風呂入るとか、寝るみたいな一つ一つのことが、もう笑っちゃうぐらい楽しくてさ。
「翳りゆく部屋」を聞いてると、そのときの感覚を思い出すんだよ。
とんでもなく暗い曲なのに、なぜだかメロディーが美しくて。
あまりにも美しくて。
そう、絶望の先も美しい。
幻想をぶっ壊した先に、生の実感がある
昔、岸田秀さんって心理学者の方の本が好きだった。
書いてることは基本どれも同じで、「すべては幻想」と。
人間は他の動物と違って、脳が発達しすぎて本能が壊れている。
だから、希望だの夢だの宗教だの色々自ら考えだして、自分たちの行動を意味づけようとする。
でも、それらは本能に沿ったものじゃないから、何をしても落ち着かない。
何かが違うように感じる、と。
何もかもが上手くいかないと、ポジティブな幻想がすべて破壊される。
その瞬間、生きることへの本能がつかの間復活して、ただ生きるためにする行動の一つ一つが輝きだす。
「翳りゆく部屋」を聞いていると、どうもそんな気がするのだ。
暗いからこそ、とんでもなく暗いからこそ、美しすぎてね。