オレ様の世界 シーズン2

常識的な非常識 /マイノリティなマジョリティ / 本音のキレイごと / ラブ・アンド・ディトラクション / ようこそ、オレ様の世界へ

 

裏切られても信じる

タイトルが青春マンガのセリフのようになってしまったが、感傷的にではなく、論理的に考えてそうだよな、と。

 

どちらが得か、という話。

 

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人を信用しない

オレは基本的に他人を信用していない。

 

家族だからと言って、純粋に相手を思っての発言しかしないわけではない。

自分の見栄・世間体・欲によっての言動もあるし、ひどい場合は金銭的に子どもを利用しようとすることだってある。

 

友達も同様。

ただの利害関係でくっついていることも、自分がいないところで陰口をたたいていることもある。

 

恋人も。

相手を利用しようとすることも、急に心変わりすることも多々ある。

 

ブログの読者も。

褒められたと思ったらフォローを外されることなど、日常茶飯事だ。

 

素直にうれしい

だが、ずっと離れない人もいる。

 

「この人も今は調子がいいことを言ってるけど、いつ離れるかわからない」

と思うことさえないぐらい、あっけらかんといつも好意を示してくれる人がいる。

 

うれしい。

もう素直に。

 

先日、世界一幸せと言われるデンマークの暮らしについての本の中に、「デンマーク人は他人を信用している」と書かれていた。

 

「自分の悪口を言っているかもしれない」

「利用するために近づいてくるのかもしれない」

などと思っているより、それはもう間違いなく、精神衛生上良いことだろう。

 

離れないであろう人といて、そんな当たり前のことを実感したのである。

 

信じたほうがトク

他人を疑ってかかるほうが、現実的には正しいのかもしれない。

 

どんなにラブラブでもカップルは別れることのほうが多いし、友達は時と場合に応じて裏切ったり利用しようとしたりするし、家族も相手のためと言いながら自分のために行動することもある。

 

だが常に疑いながら生きるのは、楽しくない。

正しいとか正しくないとか、確率的にどうこうとかではなく。

 

また裏切られたと言っても、お金が盗まれるなどの実害を被ることはめったにない。

 

だったら、とりあえず信じておけばいいのではないか?

裏切られたら裏切られたで、そのとき考えればいいことだ。

 

裏切られるかもしれないといつも思っていたほうが、何かあったときのダメージは少ないかもしれない。

だが多くの時間を、人を疑いながら過ごすという不幸なものにしてしまう。

 

信じたほうが時間的に得だから信じてみようと、とりあえず決めた。